トランス・ワールド(原題:Enter Nowhere)
隠れた名作!!
人里離れた森の中で、夫とドライブ中にガス欠になり、ガソリンを買いに行った夫を待つサマンサは、同じように車のトラブルで立ち往生しているトムに遭遇し、無人のキャビンで一緒に夫を待つことに。
原題:Enter Nowhere
演者はちょい役含めても10人程度。
寒々とした林の中の小屋という限定された空間に、ギリギリまで削ぎ落とされた演出が光る。
カンのいい人は途中で「こういうことかな?」と気付くかもしれないが、それを見越した上でストーリーが構築されているような印象を受ける。
すくなくとも、この映画においては叙述トリックは主題ではない。
そしてオチを見た上で最初から見てみるとまた違った見方ができて面白い。
よく言われることかもしれないが、この映画はそこをうまく利用しているように思う。
ぜひオススメしたい一本。
以下ネタバレ
ハンス=サマンサの父。ドイツ人。妻とサマンサを残し、第二次大戦中に戦死するはずだった。
サマンサ=1960年代の人物。ジュディの母。ジュディを産んだとき死亡するはずだった。
ジュディ=1980年代の人物。サマンサの娘。トムの母親。獄中で出産したあと、死刑になるはずだった。
トム=2010年代の人物。復讐を果たしてから、自ら命を断つはずだった。
演出
不自然にならないギリギリのラインで慎重に設計された演出だと思う。
たとえば、サマンサとジュディがトムの車を見ていないこと。
トムがサマンサの車を見ることは「クラシックだね」で済むが、逆はそうはいかない。
そこを、サマンサを身重にし、話の中心を小屋に固定することで上手にごまかしている。
サマンサが夫の徴兵を「出国」と表現するのも上手いと思った。
当時の情勢を鑑みるに「出国=徴兵」なわけで、いちいち「戦争に行く」と言う必要がないわけだ。
戦争の話題を出すとトムが「?」となっていただろう。
エンディング時点でのジュディの服装は現代人からするとかなり違和感があるが、劇中の登場人物の服装はそうでもない。
サマンサもしかり。ファッションという点でも違和感のないギリギリの妥協点のように思う。
ただ、見返してみるとヒントはある。
ジュディが引き合いに出す「パックマン」「逃亡」などはモロに80年代の話題だし、冒頭でトムが燃料にする新聞は2011年の日付になっている。
温度計が摂氏表記なのもそうだ。アメリカ本土では華氏表記が一般的はず。
ワインに対する印象もそれぞれ異なっているのも面白い。
時を超えて愛される小道具を出してくるあたりがニクいね。
作中でのサマンサ、ジュディ、トムの関係は、なんとなく「母と娘(息子)」「祖母と孫」の関係を思わせる。
こういう点でも、見返すと新しい見方ができて面白い。
2011年の映画ということは観る時点でわかっているのに、冒頭のシーンを観ると不思議と80年代の頭になってしまう。
そこに1960年代の話題と2011年代の話題が入ってきて、観ている側の頭もこんがらがってくるから不思議だ。
たぶん、観ている人の世代によって感じ方がまったく異なってくると思う。
そんな微妙にすれ違う感覚が一気に収束していくようすは、薄々わかっていたとしても鳥肌モノである。
エンディング
最後まで勇敢に運命と戦ったトムが、もしかしたら生まれないかも…と考えるとちょっとつらい。
しかし母娘がにこやかに砂浜を歩く様子をみていると、不思議とそんな心配はいらないかも…、と思わせてくれる。
演者
サマンサ役のキャサリン・ウォーターストン。
オチを見た上でサマンサを見ると、ドイツとアメリカのハーフという点が自然でしっくりくる。
イングランドの女優さんというのもハマりすぎてて、よくこんな人材見つけてきたな、と思う。
童顔で可愛らしい方なのだが、当時すでに30代で身長は180cmある。
トレンチコート似合いすぎ。
もし彼女が気に入ったなら、主演のエイリアン:コヴェナントも見てみよう。
トム役のスコット・イーストウッド。
最近あんまりみないタフガイ寄りの役者さんで、どことなくシュワちゃんに似てるなー…と思ったら、クリント・イーストウッドの息子さんでした。
普通にいい味出してたので、親の七光扱いに負けずに頑張ってほしいところ。